太極拳は中国の明の後期から清の始まる頃に、自分の身と村を護る目的で、武術として生まれました。
現在では健康に良い運動方法として、武術として、太極拳は世界中で練習されています。
実際に太極拳は体調を整えて心も体も強くしてくれるので、健康法としても武術としても大変おすすめです。
太極拳はゆっくり動き、動作が美しく、たいへん人気のある中国武術なので、愛好者は日本では150万人、世界では1億5千万人と言われています。
力では無く技を利用して人を制圧するなど、武術としての太極拳も魅力的です。
この記事では太極拳の歴史を紹介していきます。
太極拳とは
太極拳は中国の伝統的な武術であり、健康法であり、競技スポーツです。
太極拳は健康を維持し、不法な者から村を護り、幸せな人生を全うするための武術として中国で生まれました。
武術として生まれたので、太極拳には力が弱い者が強い者を制圧できる技や、様々な武器術なども伝わっています。
気功や医術も取り入れたので、太極拳は気功法として美容や健康にとても良い運動です。
立禅と言われることもある太極拳は、禅に通じる日本の武道と同じく瞑想や気功を意識して行うことで、「自然に溶け込んで宇宙と一体になるような感覚」が養われます。
太極拳では基礎練習をするだけでも体が温まって血流が良くなるのを感じられ、とても健康に良いと実感できるでしょう。
太極拳は競技スポーツとしても発展していて、地方大会や全国大会の他に、世界大会も行われているので、自信をつけたい方は挑戦してはいかがでしょうか。
太極拳は中国の伝統的な武術であり、健康法であり、競技スポーツです。
太極拳の歴史
太極拳はどのように生まれて、どのように広まったのでしょうか。
歴史を紐解いて太極拳の起源や発祥などを紹介します。
どんな名人達人がいたのかも気になりますよね。
創始者や発展させた人物なども確認していきましょう。
太極拳の起源
太極拳は中国の河南省(かなんしょう)温県(おんけん)に有る陳家溝(ちんかこう)という村の陳一族に伝承されてきた、1650年ごろに創始された武術が起源です。
現在は陳氏または陳家または陳式太極拳と呼ばれています。
時代によって改良されながら、陳式太極拳は村に代々受け継がれて来ました。
陳氏太極拳と名乗るようになったのは、都会の北京で「太極拳」と言う名前で陳一族の武術が広まった後と言われています。
1800年代に楊式太極拳を創始した楊露禅(ようろぜん)が陳長興(ちんちょうこう)から陳一族の武術を学ぶまでは、一族以外には拳法を教えませんでした。
太極拳と名乗る前は長拳や村の拳法と呼んでいたようです。
太極拳は中国の河南省(かなんしょう)に有る陳家溝(ちんかこう)という村の陳一族に伝承されてきた陳式太極拳が起源となっています。
太極拳の発祥と創始者
現在の陳式太極拳は1650年ごろに陳王廷(ちんおうてい)によって創始されました。
それ以前から村をまもるための武術は存在していましたが、武将だった陳王廷が軍の武術や医術なども取り入れ、より実用的に改良しています。
中国では明が滅びて清の時代になる所だったので、世の中が混乱していて盗賊が村を襲うことも多かったようです。
相手を攻める武術とは違い、村や自分の体を護るための護身術として陳式太極拳が生まれました。
陳一族が健康で強い体を作り、剛柔を合わせた武術を練習して村を護って来たので、太極拳が現在まで伝わっています。
全ての太極拳の源流である陳式太極拳は、陳王廷(ちんおうてい)によって創始されました。
太極拳の発展
1850年ごろに北京で楊露禅(ようろぜん)が指導をしたため、太極拳は広く普及しました。
孫の楊澄甫(ようちょうほ)が現在のような柔らかい印象の楊式太極拳にしていったようです。
都会には盗賊や馬賊が来ないので、武術的な部分が少なくなり、健康の為に太極拳を練習出来るように改変されていきました。
老若男女が練習しやすい楊式太極拳は、都会で一気に広まり、他の多くの武術にも影響を与えています。
太極拳は他の武術と合わさるなどして、新しい流派が次々と生まれました。
1900年代には源流の陳式太極拳を北京で学べるようになり、様々な流派の太極拳が練習されるのが一般的になっていき、太極拳は大盛況となります。
都会の北京で楊式太極拳が広まり、太極拳は発展しました。
太極拳の現在
太極拳は世界中に愛好家がいて、その人口は1億5千万人と言われています。
国が制定した太極拳を国民の健康のために普及させたので、国内ばかりではなく世界中に広まりました。
競技スポーツとして世界大会が行われ、健康法としても太極拳は多くの人に練習されています。
主な流派の他にも様々な流派が生まれ、太極拳は益々発展していくでしょう。
伝統的な流派には武術としての要素が色濃く残っているので、健康効果だけではなく、身を護る手段としても大変魅力的です。
武術としての太極拳は強引な力は使わずに、柔らかく相手の攻撃をかわして相手を制圧する技を使うのが特徴となっています。
太極拳は今後もますます多くの人々に愛されていくでしょう。
太極拳の種類
太極拳にはたくさんの種類があります。
健康法としても武術としても太極拳はたいへん実用的なので、様々な影響を受け、他の武術と合わさるなどして多くの流派が生まれました。
中国国家が太極拳の健康効果を認め、国民に普及させるために作ったものもあります。
太極拳には伝統拳と制定拳があり、それぞれ違う目的で作られました。
伝統拳
伝統拳は古来より受け継がれている村や身を護る武術です。
伝統拳は素手と武器を合わせると数百の動作と各種の推手(すいしゅ=二人一組での練習)を鍛練し、正式な弟子にするには拝師式(はいししき=儀式を経て武術上の親子になる)を行うなど、現代でも武術色を強く残しています。
元々の太極拳は村を盗賊などから護るための武術なので、身内以外には教えませんでした。
先師の方々の努力で、最近では私達も伝統拳に入門出来る機会が増えました。
また、初心者や一般向けへ少ない動作にした型や推手を、教室やサークルで指導している場所も増えているので、気軽に伝統拳を学べるようになって来ています。
伝統拳は古来より受け継がれている村や身を護る武術です。
制定拳
制定拳は中国政府が伝統拳をもとに作った競技用または健康体操用の型です。
1956年に中国国家体育運動委員会が一般に普及させるため、簡化24式太極拳を制定しました。
簡化24式太極拳が最初の制定拳です。
当時の名人達人の先生方が、健康効果はそのままで、楊式太極拳を簡単にした簡化24式太極拳を作りました。
1957年には楊式太極拳を基に88式太極拳、1958年には楊式太極剣を基に32式太極剣、1979年には楊式を基に陳・呉・孫式を取り入れて48式太極拳が制定され、その後42式総合太極拳や42式総合太極剣なども制定されています。
他にも、8式・16式・32式などが制定され、陳氏38式・陳氏56式・孫氏73式など、五大流派からも制定拳が作られました。
制定拳は中国政府が伝統拳をもとに作った競技用または健康体操用の型です。
太極拳の5大流派
陳式太極拳
楊式太極拳
呉式太極拳
武式太極拳
孫式太極拳
太極拳の5大流派は以上のとおりです。
どのような特徴があるのか見ていきましょう。
陳式太極拳
陳式太極拳は柔らかく緩やかな動作だけでなく、激しい動作を表現する事もあります。
さらに纏絲(てんし)と言うらせん状にひねる動作を使うなど、他の太極拳には見られないような技術が特徴です。
ヨガなどと同じように、捻る動作はとても血行が良くなるので、簡単な動作でも体が温まるのを感じられるでしょう。
楊式太極拳
楊式太極拳は楊露禅(ようろぜん)が1830年ごろに陳長興(ちんちょうこう)から陳式太極拳を学び、その後に改良して創始した太極拳です。
その当時に陳一族以外の者が陳式太極拳を学ぶ事は、非常にめずらしい事でした。
楊露禅は北京で多くの弟子に太極拳を教えていて、運動不足の王族や貴族にも指導していました。
そのため激しい動きは封じて、大きなゆったりとした動きへと太極拳を改良したと言われています。
その後に楊露禅の子や孫も改良を加え、現在普及しているのは孫の楊澄甫(ようちょうほ)が開発した太極拳です。
楊式太極拳は動作がのびのびとして柔らかく、一見して激しい動作を行わない点が陳式太極拳との大きな違いとなっています。
都会の北京で広く普及した楊式太極拳は、近代に国が定めた制定拳の元になりました。
呉式太極拳
呉式太極拳は呉鑑泉(ごかんせん)が楊式太極拳を基に創始した太極拳です。
呉鑑泉は楊式太極拳を学び、楊露禅の孫の楊澄甫と一緒に太極拳を指導していた時期もあります。
弓歩(きゅうほ=立ち方の一つ)の際に前傾姿勢をとることが他の流派と異なり、軽く機敏で円滑な動作が特徴です。
呉鑑泉は上海で呉式太極拳を指導したので、中国国内だけでなく香港を中心として華僑の間にも普及しています。
武式太極拳
武式太極拳は武禹襄(ぶ うじょう)が陳式太極拳に独自の理論を加えて創始した太極拳です。
楊式太極拳を学んだ後、陳青萍(ちんせいへい)から陳式太極拳を学び、『太極拳譜』などで理論の研究をして、独自の工夫を加えました。
比較的小さくて柔らかい印象ですが、理論に基づいた精巧な動作が特徴です。
初めのうちは親族にしか教えなかったので、伝承者は少ないと言われています。
孫式太極拳
孫式太極拳は形意拳と八卦掌の達人だった孫禄堂(そんろくどう)が武式太極拳を学んで創始した太極拳です。
腰が高く歩幅が狭い立ち方で、軽快かつ機敏な歩法を使います。
形意拳(けいいけん)の歩法、八卦掌(はっけしょう)の身法、武式太極拳の手法が統合された動作が特徴です。
孫禄堂の娘、孫剣雲(そんけんうん)が1980年ごろに日本の訪中学習団を指導し、また、来日して講習会を開催するなど、日本との繋がりが深い太極拳となっています。
その站椿功(たんとうこう=一定の姿勢で立つ練習)を教えて頂きましたが、体が温まるのが早いように感じました。
その他の太極拳
太極拳は世界中で行われているので、地域性などの環境や指導者の経験した他武術などにより、それぞれ独自に進化していっています。
もともと武術は1人1流派と言われるくらい、それぞれ個人の考えや経験によって違うものです。
同じ個人でも、年齢を重ねるにつれて技が変化して行きます。
同じ先生が指導した技でも、初期の弟子と晩年の弟子では違って見える事はよくある事です。
様々な太極拳が生まれていますが、伝統拳の一部を紹介します。
陳式根元太極拳
陳発科(ちんはっか)の関門弟子(かんもんでし=最後の弟子)として陳式太極拳を学び、心意拳の胡耀貞(こようてい)から気功を学んだ馮志強(ひょうしきょう)が創始した太極拳です。
陳式太極拳の一つで北京の陳式ですが、動作の見た目が大きく違うので別枠で紹介する事にしました。
馮先生は何度も日本にいらして指導されたので、国内にたくさんの教室があります。
私も24式を覚えた事がありますが、とても健康に良いと感じました。
忽雷架(こつらいか)
陳清萍(ちん せいへい)の弟子の李景炎(りけいえん)が創始しました。
緩急の激しい鋭い動作が特徴です。
陳式太極拳の一つですが、別門派として扱われることもあります。
和式太極拳
和兆元(わちょうげん)が陳清萍(ちん せいへい)に学び創始しました。
陳式太極拳から変化して、激しい動作が無く柔らかい印象です。
陳家溝(ちんかこう)の隣村の趙堡(ちょうほ)村で代々伝わった太極拳なので、趙堡太極拳とも呼ばれます。
鄭子太極拳
楊澄甫(ようちょうほ)の弟子の鄭曼青(ていまんせい)が、楊式太極拳を整理して37式にまとめたものです。
鄭子太極拳は主に台湾や欧米で普及しています。
37式と楊式太極剣の套路を学習し、推手と気功を練習するという比較的に少ない内容で、太極拳の本質を早く習得できるのが特徴です。
正宗太極拳
陳泮嶺(ちんはんれい)が創始した太極拳です。
楊式太極拳をベースに陳式・呉式・武式の太極拳と、形意拳や八卦掌の技術も取り込んで創られました。
創始者は単に「太極拳」としか名乗っていなかったので、古伝統合太極拳・双辺太極拳・九十九式太極拳・南京中央国術館式太極拳など、別名がたくさんあります。
武当派太極拳法
武当派太極拳法は武当山に伝承する太極拳です。
武当山は山脈で、70以上の山が有って、100以上の道教の寺院が有ります。
武当山には多くの武術や気功術が伝えられていますが、その一部が武当派の太極拳です。
楊式太極拳と交流があったので、武当派太極拳法は動きが似ているように感じられます。
陳式太極拳が生まれる300年以上前に、少林寺で修業した張三豊(ちょうさんぽう)が内家拳法(ないかけんぽう)を創始して武当山に武術を伝えました。
武術と気功を組み合わせて内家拳法を創り出した張三豊は、中国武術の神様のような存在です。
陳式太極拳を含むほとんどの中国武術が武当派の影響を受けているでしょう。
武当派の武術は別格で、陳式太極拳の発祥にも深く関わっています。
「内家拳法こそが太極拳の源流である」と言う人もいますが、おっしゃる通りと言うほかありません。
陳式太極拳は、内家拳法や他の民間武術や日本の陰流剣術の影響を受けて戚継光(せきけいこう)が書いた紀效新書(きこうしんしょ)をベースに、陳王廷(ちんおうてい)が軍の武術や医術なども取り入れ、より実用的に改良して創りました。
武当派太極拳法は武当山に伝承する太極拳になります。
まとめ:これからも発展していく太極拳
健康に良い運動方法として、武術として、世界中で人気のある太極拳は、これからも益々発展していくでしょう。
太極拳は健康を維持し、不法な者から村を護り、幸せな人生を全うするための武術として中国で生まれました。
武術として生まれたので、太極拳には力が弱い者が強い者を制圧できる技や、様々な武器術なども伝わっています。
気功や医術も取り入れたので、太極拳は気功法として美容や健康にとても良い運動です。
太極拳はゆっくり動き、動作が美しく、たいへん人気のある中国武術なので、愛好者は日本では150万人、世界では1億5千万人と言われています。
太極拳は他の武術にも取り入れられるなどして、五大流派が出来て、その後もたくさんの流派が生まれ続けているところです。
健康に良い運動方法として、武術として、世界中で人気のある太極拳は、これからも益々発展していくでしょう。